昨年12月から検討を開始した日本版AAAS設立準備委員会βがようやく形になり、先週公開となった。多くの賛同者の方からの暖かいコメントをいただく一方で、「日本版AAASというが、そもそもAAASって何のこと?」という質問を受けることも多い。組織発足の提案において米国の組織であるAAASからインスピレーションを得ているため、「日本版AAAS」を仮称として用いているが、正式な会の名称は後日賛同者の方々と一緒に決めていくプランだ。この記事では、AAASについてよく知らないという方のために、簡単に参考として会の成り立ちを解説しておこうと思う。
「AAAS」は通称であり、正式名は全米科学振興協会(American Association for the Advancement of Science)である。通常は「トリプル・エー・エス」と呼ばれることが多い。1848年創立で、「世界中で、全ての人々の利益のために、科学、工学、イノベーションを振興する」ことをミッションに掲げている。これは、全米科学アカデミー(NAS)とは別の組織で、より政府からの独立性が高い。この記事では、AAASの6つの主な役割と活動をまとめてみた。アカデミーとの違いについては次の記事で説明したい。
1. 『サイエンス』誌
日本を含めた米国外の諸国で最もよく知られているAAASの活動は、疑いもなく科学雑誌『サイエンス』の発行であろう。現在、世界には星の数ほどの科学ジャーナルが発行されており、伝統と権威のあるものから、ネット上で僅かな期間だけ存在する意義の怪しいものまで多彩であるが、その権威という意味で最高峰にあるとされるのが、英国の『ネイチャー』とAAASの発行する『サイエンス』である(よくこれに加えて『セル』誌も挙げられるが、これは生命科学に特化した雑誌なので、それ以外の分野の研究者にとってはこの二誌が最高峰ということになる)。学術ジャーナルは一般的に権威のある雑誌ほど投稿される論文が多く、審査が厳しく、従って掲載が許されれば名誉とされる(掲載された論文を元にした評価で人事が決められたりする)。『サイエンス』(およびその兄弟誌)の存在がAAASの名声を支えており、また収入面でもAAASの基礎となっている。しかし、AAASはそれ以外にも様々な活動を行っている。
単なる学会誌と異なり、時事問題を扱った論説や、各種の声明などが掲載されることもあり、影響力のある科学ジャーナリズムの媒体であり、科学者間の相互交流やアカデミアを代表して社会にメッセージを伝える媒体としての側面も重要である。本誌と連動して速報を伝えるウェブ媒体である EurekAlert! も重要なメディアである。
2. 年次総会と理事会
AAASは年に一回、2月に総会を開く。私は、2008年と2017年に行われた総会に参加したので、その時の経験なども合わせてご紹介したい。
この総会は、もちろん組織に関する重要な決定が行われる場であるが、同時に(一般的な学会のように)多数の分科会(セッション)やポスターセッションが開かれる。分科会は、個別の学問分野の新規の発見といったテーマを扱うものも少なくはないが、やはり学際性が高いものや、一般に科学のELSI(倫理的・法的・社会的諸問題)と呼ばれる分野に関わるもの、あるいは科学教育や科学コミュニケーションに関わるものが多い。基調講演や全体講演も科学と社会との関係について考察するものが多い。
また、大学や研究機関、あるいはその連合体などがブースを出したりもしている。2017年の総会は「控えめに言っても、科学に熱心とは到底言えない」との前評判だったドナルド・トランプが大統領に就任した最初の総会だったため、各国が米国の優秀な研究者をリクルートしたいという意思を前面に出していたのが興味深かった。
例えば、EUは会場の Wifi を提供し、イギリスも巨大なブースを出して魅力の演出に努めていた。
2. 国内政治と科学外交への関与
総会は、もちろん世界最大級の科学者団体の意思決定の場である。理事会は一部が公開で行われているので、参加してみたことがある。理事会では、会の活動方針のほか、米国の科学・技術政策の動向、特に連邦の予算がどのように推移しているかなどについても議論が交わされる。科学技術予算に関しては、詳細な分析レポートも毎年発行される。必要に応じて、政治や社会的事象についての声明が発表されることもある。
また、会長が「米国には一般的な国にある”科学技術を担当する省庁”というものがないこともあり、AAASは科学外交という意味で重要な役割を担う」と述べていたのが印象的であった。外交という意味では、特に人権の問題が焦点になる。「ソ連水爆の父」と呼ばれ、その後核開発への反対に転じ、また民主化を求めたことによって長く幽閉状態に置かれたアンドレイ・サハロフ氏をどう支援したか、といったことが「人権と学問の自由」を求める活動の原型になっているようであった。もちろん、世界には強権的な国家はいまだに多い。そういった地域の「学問の自由」をどう守っていくかは、米国の科学者コミュニティにとって大きな課題であると認識されている。
3. 科学教育への貢献
楽しい科学コミュニケーションもAAASの課題である。総会と合わせて開催されるファミリー・サイエンス・デイは、子どもたちのために体験型の実験教室など、様々なプログラムが用意されている。スバルとの提携により、子ども向けの優れた科学書が表彰される。AAASは子どもたちが最低限知っておくべき理数系知識を網羅した “Science for All American” を取りまとめている。これは日本でも大きな反響を呼び、日本語訳が作成された。また日本版とも言える”Science Literacy for all Japanese”も作られた。ただ、残念なことに日本のプロジェクトは教育に大きな影響を与えることもなく、現在ではサイトも閉鎖されている。一方、AAASのプロジェクトは、スバルの科学書賞が “Science for All American” を踏まえて評価されることになっているなど、科学的提言が社会としての蓄積につながっている。
4. 栄誉、顕彰機能
AAASフェローは研究者を含めて、これは科学に多大な貢献があった各界の著名人を表彰する目的のものである。過去には発明王エジソン、アフリカ系社会学者のパイオニアと言われるW.E.B.デュボイス、女性天文学者の草分けの一人であるマリア・ミッチェル、ノーベル賞学者でオバマ政権のエネルギー長官も務めたスティーヴン・チュー、ジョンソン宇宙センター所長などを務めたエレン・オチョア、工学者でありクァルコム創業者のアーウィン・ジェイコブスなどがいる。
他にも様々な目的を持った賞や奨学金が存在しており、中には企業との提携によって提供されるものもある。エルゼヴィアとの提携で提供されるのは、第三世界の「キャリア初期」の女性科学者への賞と奨学金である。2017年の時は、スーダンの受賞者がトランプ政権の政策により入国できなくなり、授賞式に出席できなくなった。このためAAASは抗議声明を発表した。他にも様々な企業や個人の名前を冠した賞や奨学金が存在している。
一方、「科学の自由と責任」賞は時として企業と対立する科学者にも贈られる。これは、社会的圧力に抗して科学的真実を追求し、公共善に貢献した科学者に与えられる賞である。2020年は、フロリダの少年院に埋葬されていた数十人の子どもたちの法医学調査に関わったエリン・キマールに贈られた。この少年院では主にアフリカ系の子どもたちを収容しており、大規模な虐待が行われていたと考えられる。地元の評判が落ちることを危惧する住民たちからの有形無形の圧力を跳ね除け、調査を行い、公的には行方不明となっていた子どもたちの遺体を発掘し、その死因を明らかにした。フロリダ州知事は適切な再埋葬と記憶のための記念碑の建設の予算を承認した。
2019年のケースはより論争的なものである。スリランカの科学者であるサラート・グナティレイケとチャンナ・ジャヤスマナは、農薬グリホサートが、飲料水が硬水であり、ヒ素やカドミウムなどの重金属の含有量も高かった場合、肝臓に有意に悪影響を与えることを疫学的に明らかにした。しかし、この研究の受賞は一部の(業界を代弁していると言われる)科学者からの反発を惹起し、この受賞は再調査が行われることになった。再調査の結果として、AAASは二人の受賞を確定することを発表した。
5. 科学技術政策フェローシップ
総会と雑誌の存在は国際的によく知られるところであるにしても、AAASのもう一つの重要な事業はあまり知られていないかもしれない。それは、博士号を取得した人々を政策に関わりのある各種機関にインターンとして送り込む「科学技術政策フェローシップ」事業である。40年以上続いているこの事業で、フェローは給料を保証されて、司法、立法、行政の各部門やシンクタンク、企業などで科学技術政策に関係する仕事に関わる。そういった組織にとっては、高い知識をAAASに保証されたスタッフが雇用できるというメリットがあり、フェローの側には博士号とった自分の知識と能力が、専門外の領域でどのように活かせるかを学ぶチャンスになる。これを経験した後に学問の世界に戻るものもいれば、政治の世界に入るものもいる。民間企業で働くケースもある。日本でも有名になった米国の原子力規制委員会元委員長であるグレゴリー・ヤツコ氏はもAAAS政策フェローの経験者である。物理学の博士号を取得した後に下院議員事務所に派遣され、その後いくつかのキャリアを経た後にネヴァダ選出の大物上院議員であったハリー・リードのスタッフになり、そこから原子力規制委員に就任する。こうしたキャリアパスを経て、多様な博士人材が社会の各所に提供される仕組みになっているわけである。
AAAS総会でもフェローシップのOBが、科学者が政治に関わるとはどういうことかについてワークショップを行っていた。OBの交流も盛んであるようで、こういったところからも分野を超えて社会問題について議論を行い、専門家が社会に対して影響力を行使していく土壌ができていくのだろう。
ちなみに先に触れたAAASフェローは科学界に貢献のあった人を顕彰するための制度であり、政策フェローとは別物である。
6. 科学者の代表組織としてのAAAS
さて、このような形でAAASは科学教育のイベントなどを通じて科学の普及に貢献し、また政治的に科学者を代弁して、学問の自由と自律を守ることに務めてきた。これは、一つには米国の政治において福音主義をはじめとした宗教勢力の影響は強く、それが(常にというわけではないにせよ)場合によっては科学的な価値観と対立を引き起こしてきたからである。そのために、科学者は社会に理解されるように努めてきたし、一方で強い政治的影響力を持つことが必要と考えられてきた。政策決定機関にフェローを送り込むことも、そういった活動の一環でもある。
このように、AAASでは幅広い立場の研究者及び広い意味で科学に関わる人々の交流の場を提供し、科学の振興という目的に沿って社会や政治を分析し、それを社会に訴えるための各種媒体や分厚い組織を持っている。次世代の科学者を育てる科学教育への貢献に始まり、政策フェローなどの制度を通じて若手が経験や技能を習得するのを支援し、名誉や権威を認定するフェローに至るまで、研究者のキャリアパスに寄り添った支援体制を構築しているという点も見逃せないだろう。科学者自身による、科学振興のための非営利組織は各国にあるが、ここまで幅広い体制を構築し、成功しているという意味ではAAASが突出している。そのため、AAASはしばしば科学普及団体のモデルとみなされており、1997年に欧州で発足した EuroScience なども AAAS をモデルにしていると表明している。
では、同じように「科学者の代表」である全米科学アカデミーと、AAASはどのように違うか、どのような役割分担をしているのであろうか? これについては、次の記事で議論してみたい。
一般社団法人カセイケン理事、大学非常勤講師など。専門は文化人類学及び科学技術社会論。京都大学人間環境学研究科博士後期課程満期退学。大阪大学特任講師などを経て現職。近著に「『条件なき大学』の復興のために: なぜ大学改革がイノベーションを破壊するか」『科学』2019年10月号 など。