【委員プロファイリング・1】自分自身の研究を超えて、科学を守るために/坂内博子氏インタビュー

日本版AAAS設立準備委員会のメンバーがどのような問題意識や思いを持って活動しているのかを紹介するインタビューシリーズです。第1弾は設立戦略チームで活躍する、早稲田大学先進理工学部、電気・情報生命工学科 教授の坂内博子(ばんない・ひろこ)さんをご紹介します。



坂内博子(ばんない・ひろこ)
日本版AAAS設立準備委員会 委員(設立戦略チーム)
早稲田大学 先進理工学部 電気・情報生命工学科 教授

医者を志すも、解剖が怖いという理由から断念。東京大学理学部で動物学を学び、生物物理学の研究で学位を取得後、脳科学に転向。在外研究先のパリ高等師範学校にて、脳の細胞で分子1個の動きを調べる方法を確立する。JSPS特別研究員、理研基礎科学特別研究員、名古屋大学特任講師、 JST さきがけ 「統合1細胞解析のための革新的技術基盤」専任研究員、慶應義塾大学医学部特任講師を経て現職。好きな本:推理小説、星の王子さま。

持続可能な研究システム実現へ−分野を超えた議論の受け皿としての日本版AAAS

日本版AAAS設立準備委員会に参加しようと決めた背景には、個人的な問題意識がありました。科学や研究にまつわるいろいろな問題の中には、各分野の学協会でこれまで死ぬほど議論されているにもかかわらず、いまだに解決策がない問題がいくつもあります。そういった問題を一度に解決できる方法はないのか、と常々考えていました。学協会単位ではできないこと、たとえば政治や省庁の関係者と共に制度を実際に動かすというようなことが、日本版AAASのような組織ならば実現できるのではないかと思ったのです。

私自身の問題意識は2つあります。1つは若手研究者のキャリアパスです。長く議論されている研究力低下の問題の根本には、持続可能な研究を進める体制が日本に整っていないことがあります。トップレベルの研究者は雑務に追われ、若い世代はいい研究をしていても不安定な任期付き雇用しかなくて先が見えない。その姿を見た学生は、研究の道に進むのを諦めてしまう。この悪循環を変えたいのです。もう1つは研究界で起こっているハラスメントの問題です。こういった問題は、大学や学協会という組織を超えて分野横断的に解決策を見出す必要があり、日本版AAASはその受け皿として機能すると思います。

「研究の当事者」を市民まで拡大する

私たちが目指す組織の今までにない特徴は、これまで研究の中心的な当事者であった研究者以外の世の中の考え方をも取り込んでいこうというところです。今は、学術に関する諸問題について、TwitterなどのSNSに参加すれば、研究者と一般の人がハッシュタグで繋がり、フラットに議論できる時代です。研究者以外の人々もアカデミアの問題に対して「こうあるべき」という意見を持っています。そして、政治家、行政に関わる人など科学技術政策を担う人々は、研究者の声だけでなく広く一般の人の声も聞かねばならない存在です。

日本の研究者は、今まで、自分たちの大切な問題を世間に問いかけ、動かす活動はできていませんでした。例えば、ゲノム編集の是非、新しい医療、食べ物や健康に関する問題など、市民の生活に関わる科学技術問題を、誰もが当事者として議論できるような社会を作れたら素晴らしい。そういう社会で研究者の役割は、市民に十分判断に足る情報を提供し、市民からフィードバックを受けるということでしょう。それができる組織にしたいのです。

若手研究者の自発的活動や、プライベートでも様々な市民活動に関わっている

もちろん、日本学術会議や各学協会など、科学技術政策を当事者が議論するチャンネルはこれまでにもいろいろありました。しかし、そこでの現状は、それぞれの組織・分野が今、抱えている問題でいっぱいいっぱいです。本質的で重要だけれども議論に時間がかかる長期的な問題は取り上げるに至っていないのです。たとえば若手研究者について、大学院生への支援を制度としてどうするか、議論が進んでいます。しかし、入り口の議論をしただけでは、大学院生の未来への出口となるアカデミック・ポジションや民間への就職先自体が足りない問題は解決しません。ハラスメント対策やダイバーシティの問題も、既存の伝統的機関で政策提言を出そうとすると、周辺のいろいろな関係者に様々な忖度が必要で、本来の理想や本音を語りづらい。他の機関が掘り下げられないそういった問題を取り上げるような機関を作りたいのです。

日本版AAASは、これまでのしがらみを超えて、現実にこだわるだけというような限界を設けずに理想論を作る場、その理想に近づくために努力する場でありたいと思っています。

生物がそこに「ある」ことの不思議

私自身は研究者として、脳の情報伝達の基盤となる神経シナプスの仕組み、その中でもシナプスの物理化学的性質を研究しています。分子が何個集まっていたら情報伝達がうまくいくのか、シナプス伝達に必要な受容体の分子がどのような仕組みでシナプスの場所に集まっているのか、ということを研究しています。

生物がそこに「ある」というとき、物体と決定的に違うのは、存在するために常にその中身、つまり細胞や分子の入れ替えが起きていることなのです。棚にりんごを10個飾っている状態を維持するためには、腐ったりんごを新しいものに入れ替えていけなければならないのと同じように、私たちの脳の中のシナプスの受容体分子には、誰もコントロールしていないのに常に入れ替えが起きています。ミクロなものは入れ替わっているのにもかかわらず、私たちは10年前のことも覚えていられる。それってすごく不思議ですね。そういう生きものの仕組みを知りたいと思って研究をしています。

私が所属している日本神経科学会は市民へのアウトリーチ活動にとても積極的で、私自身もこれまでに「脳科学の達人」、「ガチ議論」、「大ランチョン討論」といった科学を伝えるイベントや研究環境改善に関する様々な活動に参加してきました。去年は、「脳科学弁当」を企画して話題になったんですよ。「伊達巻って海馬に似てるよね?」っていうノリから始まり、脳の部位を表現したお弁当を若い先生たちと作ったんです。「脂質二重層ご飯!」、「鮭、錦糸卵、鮭はリピッドバイレイヤー(脂質二重層)で、そこにチャネルが埋まってて…」、「イクラはコレステロール多いからラフトね!」、みたいにやりたい放題やりました(笑)。Twitterで発信したら「脳科学者がガチでつくった脳科学弁当」とまとめサイトで取り上げられました。「脳科学弁当」はアウトリーチの一つの例ですが、日本版AAASが法人化されて軌道に乗ったら、一般の方々にどうアプローチしたら科学の面白さが分かってもらえるのかを追求して、それをもとに科学の現状を伝えていく活動をしていきたいです。

 伝説の「脳科学弁当」全容

自分自身の研究を超えて、科学コミュニティ全体を盛り上げるために

日本版AAAS設立に関わるような活動は、はたから見れば「研究だけでも忙しいのに、なぜ余計な仕事を増やすの?」と思う人もいるかもしれません。でも、「だからこそ」なのです。

私、研究が大好きです。研究活動はすごく大事だと思っています。だからこそ、大事な研究の根幹を揺るがしている日本の現状が許せないのです。持続可能な研究を妨げている要因を取り除きたい。遠回りかもしれないけれど、それが大事な研究を守る方法だと思いますし、私にとってはやらずにはいられないことなのだと思います。

たとえば、今の研究環境が女性にとって活躍しづらいものであるとしたら、それはこの業界の将来を担う優秀な人を排除している原因となるわけです。もったいないですよね。研究者になりたい若手が減っていることも、優秀な人がポストを得られずに研究を続けられないことも、業界の損失です。将来自分と一緒に研究をしてくれるかもしれない人たちが、そんな理由で研究を去ってしまったら、たまらないじゃないですか。

研究室の仲間たちと

自分の研究だけしていても手が届かない、解決しなければならない問題は山ほどあります。そういう問題は、功成り名を遂げた研究者になった後で引退する前に手を付ければいい、今は研究だけに集中すべきだという人もいます。でも、たとえノーベル賞受賞者になったとしても、一人では解決できない問題があるのです。だから今、やらなければならないのです。